先日10月24日、PPモブラー社(PP Mobler)のCEOであるキャスパー・ペデルセン氏と、椅子研究家の織田憲嗣氏による貴重なトークイベントがPPモブラー総輸入元のスカンジナビアン・リビングの青山ショールームにて開催され、イルデザインもいつもの様に参加して参りました。「pp19ベアチェア」がずらりと特別展示される中、椅子研究家として世界に知られる織田憲嗣さんがそのコレクションを持ちご自身も暮らされている北海道東川町から登壇し、PPモブラー三代目CEOのキャスパーさんに様々な質問をするという形で、北欧のデザイン、家具作りの哲学を知る為の非常に貴重なトークイベントとなりました。その様子をお伝え致します。
参加レポート
先日10月24日、PPモブラー社(PP Mobler)のCEOであるキャスパー・ペデルセン氏と、椅子研究家の織田憲嗣氏による貴重なトークイベントがPPモブラー総輸入元のスカンジナビアン・リビングの青山ショールームにて開催され、イルデザインもいつもの様に参加して参りました。「pp19ベアチェア」がずらりと特別展示される中、椅子研究家として世界に知られる織田憲嗣さんがそのコレクションを持ちご自身も暮らされている北海道東川町から登壇し、PPモブラー三代目CEOのキャスパーさんに様々な質問をするという形で、北欧のデザイン、家具作りの哲学を知る為の非常に貴重なトークイベントとなりました。その様子をお伝え致します。
PPモブラーCEOキャスパー・ペデルセンさん(以下、キャスパーさん):
「私は日本の文化が大好きなので、今回もこうやって日本に戻ってこられてとても嬉しいです。織田先生と今日一緒にお話が出来るのはとても光栄です。先生のコレクション、特に沢山持っておられるデンマークの作品は全世界において非常に重要なリファレンスとなっていると思います。」
椅子研究家 織田憲嗣さん(以下、織田さん):
「北海道から参りました、織田です。今日は前もって持ってきた20近くの質問の中からいくつかセレクトしてキャスパーに聞いてみたいと思います。私が聞きたいことは皆さんも聞きたいことなのではないかと思います。質問を通して、PPモブラー、そしてキャスパーの想いをご理解いただけるのではないでしょうか。」
PPモブラーCEOキャスパー・ペデルセンさん(以下、キャスパーさん):
「私は日本の文化が大好きなので、今回もこうやって日本に戻ってこられたことがとても嬉しいです。そして皆さんが我々が作ったものを好きになってくれてとても嬉しいです。有難うございます。織田先生は世界でも有名な方で、先生のコレクション、そのうち特に沢山持っておられるデンマークの作品は全世界において非常に重要なリファレンスとなっていると思います。ですので織田先生と今日一緒にお話が出来るのはとても光栄です。」
椅子研究家 織田憲嗣さん(以下、織田さん):
「北海道から参りました、織田です。今日は前もって質問事項を20近く持ってきました。そこからいくつかセレクトしてキャスパーに聞いてみたいと思います。私が聞きたいことは、きっと皆さんも聞きたいことなのではないかと思います。質問を通して、PPモブラー、そしてキャスパーの想いをご理解いただけるのではないかと思います。」
冒頭でまず織田さんから切り出されたのは、PPモブラーが出来る前にあった、ハンス J. ウェグナーの名作椅子を創っていたメーカー、”ヨハネスハンセン”とウェグナーの1941年から始まる関係についてお聞きしたい、ということでした。
キャスパーさんによると、50年代の”ヨハネスハンセン”は本当にとても良い、立派な工房で、その頃、創業者ヨハネス・ハンセンとウェグナーは二人で色々なものを開発していっていたそうです。ヨハネスはウェグナーよりかなり年上で、ウェグナーにとって彼は「メンター」であり、友達でもあり、とても重要な人であった為、60年代過ぎにヨハネスが亡くなったことはウェグナーにとって非常に悲しく、大きな影響のある出来事だったそうです。70~80年代になると石油ショック等の様々な要因により”ヨハネスハンセン”は事業経営が困難となっていってしまいましたが、ウェグナーのアイコン的な大事な作品を彼らから受け継ぎ、我々が作っていることは大きな誇りです、とキャスパーさんはとても大切そうに告げました。
織田さん:
「50~60年代、PPモブラー、アイナー・ピーターセン(キャスパーさんのおじいさん。PPの創業者)は”ヨハネスハンセン”の下請けの立場で仕事をしていました。そこでヨハネスとアイナーとウェグナーとの信頼関係が生まれて、やがて90年にPPモブラーが遺産を受け継ぎ製造販売することになりますが、その関係性についてお聞かせください。」
キャスパーさん:
「60年代初めにヨハネスが亡くなった後暫く経ち、ウェグナーはアイナーの所にやってきて、今までの作品、そしてこれから開発していくものを僕と一緒にやっていただけませんか?と話しに来ました。下請けをしていたアイナーがとても頑固でクオリティが高い職人であることを知っていたからです。アイナーも、ウェグナーの職人としての腕を学べることはPPモブラーにとってもとてもメリットがあると思い、この話を受けました。」
キャスパーさん:
「デンマークは70年代に入ると産業化の時代に入り、機械が増え、プラスチック等の今までと違う材料で物を作るようになり、物が安くなり沢山マーケットに溢れてきて職人の腕を活かす工房のものが売れなくなってきます。しかしウェグナーとアイナーは頑固にこれを作り続け、機械ができないものを作ってこの世の中に残り続けようという姿勢を続けました。
アイナーは職人気質で物作りは大好きでも営業等は苦手なタイプでしたが、営業やマーケティングも大事と考えていたウェグナーはある日PPモブラーのロゴをつくり、サインを入れて持ってきて、これを貼り、ちゃんと目立たせて世界に示そう、と言いました。PPモブラーをブランド化しようとしたのはウェグナーだったのです。
今ここで座っているのがウェグナーがPPモブラーの為に一番最初に作った椅子「pp203」です。アイナーはこれを作り、営業もしなければいけなかったのですが、彼は、当時”ヨハネスハンセン”の営業部長であったポール・ハンセンのところにいき、ラベルに”made by PP Mobler”と書いてこの椅子の販売を頼みました。これをウェグナーが知った時、”違うでしょう!”ヨハネスハンセン”に売ってもらうんじゃなくて、あなたが売るのです!”、とひどく叱られたそうです(笑)」
織田さん:
「アイナー・ピーターセンはあまり商売っ気がなかったですよね(笑)」
会場には多くのベアチェアが並んでいた
この後、PPモブラーが考えている”企業の在り方”について尋ねた織田さん。キャスパーさんからは「材料を大切にし、人を大切にすれば、いい物しか生まれてこない」というウェグナーの言葉が挙げられました。材料である”木”を大切にするには、森を大事にし、残すことが必要。1本、木を切ったら、1本、植えていく。そうするとずっとサイクルが回っていきます。また、PPモブラーのスキルの高さを残す為には、職人達に長く付き合ってもらうことが必至。彼ら腕のある職人が、木を、材料を見て使い、クラフトマンシップに入れ込み、機械で作れないものを手で作る。これが本当に大切です、と話しました。
織田さん:
「次に、今日皆さんここに来られてお座りの家具は決して安くない家具ばかりですよね。しかし一生物、どころか、三生、四生と、後の世代まで十分使えるロングライフな家具ばかりです。価格は高価ですが、その四分の一を自分の人生で使う、と考えたら少し違う意識が生まれてくるのではないでしょうか?この価格の高さは、これを作る職人の給与の高さが理由です。2年前の時点でも時間給は6,000円位でしたね。そういった、家具の価格と社員の待遇についてのお話をお聞かせください。」
キャスパーさん:
「勤めている人がフェアな給与をもらい、しっかりした生活をしてしっかりとした人生を生きるという社会的な責任というものがあると思うのです。そうすると若い人も職人になりたいと思うようになり、ここでまた物を作っていきます。物をしっかり作るということは、長く使えるということ。長く使えるということは、最終的には得をしたということだと思うのです。」
冒頭でまず織田さんから切り出されたのは、PPモブラーが出来る前にあった、ハンス J. ウェグナーの名作椅子を創っていたメーカー、”ヨハネスハンセン”とウェグナーの1941年から始まる関係についてお聞きしたい、ということでした。
キャスパーさんによると、50年代の”ヨハネスハンセン”は本当にとても良い、立派な工房で、その頃、創業者ヨハネス・ハンセンとウェグナーは二人で色々なものを開発していっていたそうです。ヨハネスはウェグナーよりかなり年上で、ウェグナーにとって彼は「メンター」であり、友達でもあり、とても重要な人であった為、60年代過ぎにヨハネスが亡くなったことはウェグナーにとって非常に悲しく、大きな影響のある出来事だったそうです。70~80年代になると石油ショック等の様々な要因により”ヨハネスハンセン”は事業経営が困難となっていってしまいましたが、ウェグナーのアイコン的な大事な作品を彼らから受け継ぎ、我々が作っていることは大きな誇りです、とキャスパーさんはとても大切そうに告げました。
織田さん:
「50~60年代、PPモブラー、アイナー・ピーターセン(キャスパーさんのおじいさん。PPの創業者)は”ヨハネスハンセン”の下請けの立場で仕事をしていました。そこでヨハネスとアイナーとウェグナーとの信頼関係が生まれて、やがて90年にPPモブラーが遺産を受け継ぎ製造販売することになりますが、その関係性についてお聞かせください。」
キャスパーさん:
「60年代初めにヨハネスが亡くなった後暫く経ち、ウェグナーはアイナーの所にやってきて、今までの作品、そしてこれから開発していくものを僕と一緒にやっていただけませんか?と話しに来ました。下請けをしていたアイナーがとても頑固でクオリティが高い職人であることを知っていたからです。アイナーも、ウェグナーの職人としての腕を学べることはPPモブラーにとってもとてもメリットがあると思い、この話を受けました。」
キャスパーさん:
「デンマークは70年代に入ると産業化の時代に入り、機械が増え、プラスチック等の今までと違う材料で物を作るようになり、物が安くなり沢山マーケットに溢れてきて職人の腕を活かす工房のものが売れなくなってきます。しかしウェグナーとアイナーは頑固にこれを作り続け、機械ができないものを作ってこの世の中に残り続けようという姿勢を続けました。
アイナーは職人気質で物作りは大好きでも営業等は苦手なタイプでしたが、営業やマーケティングも大事と考えていたウェグナーはある日PPモブラーのロゴをつくり、サインを入れて持ってきて、これを貼り、ちゃんと目立たせて世界に示そう、と言いました。PPモブラーをブランド化しようとしたのはウェグナーだったのです。
今ここで座っているのがウェグナーがPPモブラーの為に一番最初に作った椅子「pp203」です。アイナーはこれを作り、営業もしなければいけなかったのですが、彼は、当時”ヨハネスハンセン”の営業部長であったポール・ハンセンのところにいき、ラベルに”made by PP Mobler”と書いてこの椅子の販売を頼みました。これをウェグナーが知った時、”違うでしょう!”ヨハネスハンセン”に売ってもらうんじゃなくて、あなたが売るのです!”、とひどく叱られたそうです(笑)」
織田さん:
「アイナー・ピーターセンはあまり商売っ気がなかったですよね(笑)」
会場には多くのベアチェアが並んでいた
この後、PPモブラーが考えている”企業の在り方”について尋ねた織田さん。キャスパーさんからは「材料を大切にし、人を大切にすれば、いい物しか生まれてこない」というウェグナーの言葉が挙げられました。材料である”木”を大切にするには、森を大事にし、残すことが必要。1本、木を切ったら、1本、植えていく。そうするとずっとサイクルが回っていきます。また、PPモブラーのスキルの高さを残す為には、職人達に長く付き合ってもらうことが必至。彼ら腕のある職人が、木を、材料を見て使い、クラフトマンシップに入れ込み、機械で作れないものを手で作る。これが本当に大切です、と話しました。
織田さん:
「次に、今日皆さんここに来られてお座りの家具は決して安くない家具ばかりですよね。しかし一生物、どころか、三生、四生と、後の世代まで十分使えるロングライフな家具ばかりです。価格は高価ですが、その四分の一を自分の人生で使う、と考えたら少し違う意識が生まれてくるのではないでしょうか?この価格の高さは、これを作る職人の給与の高さが理由です。2年前の時点でも時間給は6,000円位でしたね。そういった、家具の価格と社員の待遇についてのお話をお聞かせください。」
キャスパーさん:
「勤めている人がフェアな給与をもらい、しっかりした生活をしてしっかりとした人生を生きるという社会的な責任というものがあると思うのです。そうすると若い人も職人になりたいと思うようになり、ここでまた物を作っていきます。物をしっかり作るということは、長く使えるということ。長く使えるということは、最終的には得をしたということだと思うのです。」
織田さん:
「特に今日本ではファスト(fast)なものが蔓延しているから、そういうものと比較したら天と地ほどの価格差があると感じられるかもしれません、が、作る側の努力・責任、販売する側の責任、購入して愛着を持って長く使い続けるユーザー側の責任、こういう良い関係がもっと見直されて、大切に長く使い続けるということを考えれば、あまり価格に囚われずに購入してもよいと考えられるのでは、と思います。
人生の節々には色々な記念日があります。実際の例で、私が講義をしていたスクールの生徒が結婚することになりフィアンセから80万のダイアモンドのリングをプレゼントすると言われたのですが、彼女はそれに興味がなく、それよりも自分の椅子が欲しいと伝えました。その椅子はPPモブラーのベアチェアでした。旦那さんもそれを了承し、ヴィンテージショップに頼んで値段交渉し、プレゼントが実現したそうです。こんな風に記念の節々で、お互いの椅子を送り合うというのも良いのではないでしょうか。」
PPモブラーでは若いデザイナーの登用等についてどう考えているかという織田さんからの問いにキャスパーさんは、本当にあらゆる人が提案を持って来られるのですが、「椅子というのは体に一番近いもの」と言ったウェグナーを”家具のサイエンティスト”と評し、彼のように、長持ちをして、クオリティが高く、良い材料を使い、良い職人の腕を必要とする”座る為の道具”を作ることを追求する、そういうデザイナーが最近いるか、というとまだ難しいのです、と答えました。
このお話はPPモブラーオフィシャルサイトにある、この逸話を思い起こさせます。
~PPモブラーがウェグナーと初めて出会った作品はppベアチェア。彼らが50~60年代、下請けとしてこのフレームを製造していた時、PPの工房を初めて訪れたウェグナーが、張地で隠れる部分にこれほど高い品質が必要なのかと投げかけた疑問にアイナー・ピーターセンは「職人たちは自分の仕事に誇りを持つ必要がある。それに、PPモブラーは一流の品質しか作りません。」と答えました。この発言はウェグナーにとって驚きでした。通常は品質について一番に発言するのはウェグナー本人だったからです。この時、完全にその品質への要求が一致する人物を彼は見つけたのです。~
この記事の冒頭にある、内部構造が見える特別展示のppベアチェアをご覧ください。ウェグナーがPPの仕事を初めて見た時の驚きと感動が蘇えるようです。
織田さん:
「特に今日本ではファスト(fast)なものが蔓延しているから、そういうものと比較したら天と地ほどの価格差があると感じられるかもしれません、が、作る側の努力・責任、販売する側の責任、購入して愛着を持って長く使い続けるユーザー側の責任、こういう良い関係がもっと見直されて、大切に長く使い続けるということを考えれば、あまり価格に囚われずに購入してもよいと考えられるのでは、と思います。
人生の節々には色々な記念日があります。実際の例で、私が講義をしていたスクールの生徒が結婚することになりフィアンセから80万のダイアモンドのリングをプレゼントすると言われたのですが、彼女はそれに興味がなく、それよりも自分の椅子が欲しいと伝えました。その椅子はPPモブラーのベアチェアでした。旦那さんもそれを了承し、ヴィンテージショップに頼んで値段交渉し、プレゼントが実現したそうです。こんな風に記念の節々で、お互いの椅子を送り合うというのも良いのではないでしょうか。」
職人・アイナー”
PPモブラーでは若いデザイナーの登用等についてどう考えているかという織田さんからの問いにキャスパーさんは、本当にあらゆる人が提案を持って来られるのですが、「椅子というのは体に一番近いもの」と言ったウェグナーを”家具のサイエンティスト”と評し、彼のように、長持ちをして、クオリティが高く、良い材料を使い、良い職人の腕を必要とする”座る為の道具”を作ることを追求する、そういうデザイナーが最近いるか、というとまだ難しいのです、と答えました。
このお話はPPモブラーオフィシャルサイトにある、この逸話を思い起こさせます。
~PPモブラーがウェグナーと初めて出会った作品はppベアチェア。彼らが50~60年代、下請けとしてこのフレームを製造していた時、PPの工房を初めて訪れたウェグナーが、張地で隠れる部分にこれほど高い品質が必要なのかと投げかけた疑問にアイナー・ピーターセンは「職人たちは自分の仕事に誇りを持つ必要がある。それに、PPモブラーは一流の品質しか作りません。」と答えました。この発言はウェグナーにとって驚きでした。通常は品質について一番に発言するのはウェグナー本人だったからです。この時、完全にその品質への要求が一致する人物を彼は見つけたのです。~
この記事の冒頭にある、内部構造が見える特別展示のppベアチェアをご覧ください。ウェグナーがPPの仕事を初めて見た時の驚きと感動が蘇えるようです。
色とりどりの美しいファブリックを纏って並んでいた
織田さん:
「PPモブラー社の今後の展望をお尋ねしたいです。」
キャスパーさん:
「まず、PPモブラーとしてここまでの道のりも本当に大変なものでした。技術がなくても作れる製品が売れてきたり、安い物、安い材料で出来るもの、そういうものと闘うわけですが、僕は普通にリーズナブル、フェアなビジネスをやりたいだけで、今、この点までは出来てきているということは嬉しいことだと思っています。
僕も今の新しい時代に、未来に持っていきたいものとしてウェグナーじゃないものも作りたいという野心も持っています。…しかし自分と家族のやってきたPPモブラーを守り続け、やってきたことを続けていくことが一番大切。会社を大きくしようとはひとつも思っていません。PPに来てくれたスキルの高い職人達を、職人技術を守り続けたい。作りたいのは、良い椅子、長くもつ、座り心地が良く、サステナブルで実用的な椅子。これからもそれを作り続けたいだけです。」
会場に並ぶPPモブラーの家具達はどれも、今日お二人が話されたように「長く使える、責任を持った価値ある」ものばかりでした。一度スカンジナビアンリビングでPPモブラーの家具を実際に手で触れ、お座りになってみてください。ウェグナーの魂を継ぐ彼らの手仕事が直に感じられ、この足早に過ぎる時代の中で本当に大切なリラックスしたひとときを見つけられることを保証いたします。
色とりどりの美しいファブリックを纏って並んでいた
織田さん:
「PPモブラー社の今後の展望をお尋ねしたいです。」
キャスパーさん:
「まず、PPモブラーとしてここまでの道のりも本当に大変なものでした。技術がなくても作れる製品が売れてきたり、安い物、安い材料で出来るもの、そういうものと闘うわけですが、僕は普通にリーズナブル、フェアなビジネスをやりたいだけで、今、この点までは出来てきているということは嬉しいことだと思っています。
僕も今の新しい時代に、未来に持っていきたいものとしてウェグナーじゃないものも作りたいという野心も持っています。…しかし自分と家族のやってきたPPモブラーを守り続け、やってきたことを続けていくことが一番大切。会社を大きくしようとはひとつも思っていません。PPに来てくれたスキルの高い職人達を、職人技術を守り続けたい。作りたいのは、良い椅子、長くもつ、座り心地が良く、サステナブルで実用的な椅子。これからもそれを作り続けたいだけです。」
会場に並ぶPPモブラーの家具達はどれも、今日お二人が話されたように「長く使える、責任を持った価値ある」ものばかりでした。一度スカンジナビアンリビングでPPモブラーの家具を実際に手で触れ、お座りになってみてください。ウェグナーの魂を継ぐ彼らの手仕事が直に感じられ、この足早に過ぎる時代の中で本当に大切なリラックスしたひとときを見つけられることを保証いたします。
人々を出迎えてくれていたpp19ベアチェア
初台Sunday’s bakeのspecialなお菓子職人さまによるもの。
お菓子とコーヒーを自らサーブされていた
以上、”PPモブラーCEOキャスパー・ペデルセン氏と椅子研究家である織田憲嗣氏のトークショー”参加レポートでした。お読みいただきありがとうございました。
日時:
2024年10月24日(木)
登壇:
PPモブラー(PP Mobler) CEO キャスパー・ペデルセン(Kasper Holst Pedersen)氏
椅子研究家・東海大学名誉教授 織田憲嗣氏
通訳・ナビゲーター:
スカンジナビアンリビング(Scandinavian Living) Senior Sales Manager 羽柴健氏
場所・主催:
スカンジナビアン・リビング(Scandinavian Living) 東京
★弊社IL DESIGN(イルデザイン)は、PPモブラー総輸入元のスカンジナビアン・リビングを通して登録されている、PPモブラーの正規特定販売店です。PPモブラーの製品について、是非下記連絡先よりお気軽にお問い合わせください。
人々を出迎えてくれていたpp19ベアチェア
初台Sunday’s bakeのspecialなお菓子職人さまによるもの。
お菓子とコーヒーを自らサーブされていた
以上、”PPモブラーCEOキャスパー・ペデルセン氏と椅子研究家である織田憲嗣氏のトークショー”参加レポートでした。お読みいただきありがとうございました。
日時:
2024年10月24日(木)
登壇:
PPモブラー(PP Mobler) CEO キャスパー・ペデルセン(Kasper Holst Pedersen)氏
椅子研究家・東海大学名誉教授 織田憲嗣氏
通訳・ナビゲーター:
スカンジナビアンリビング(Scandinavian Living) Senior Sales Manager 羽柴健氏
場所・主催:
スカンジナビアン・リビング(Scandinavian Living) 東京
★弊社IL DESIGN(イルデザイン)は、PPモブラー総輸入元のスカンジナビアン・リビングを通して登録されている、PPモブラーの正規特定販売店です。PPモブラーの製品について、是非下記連絡先よりお気軽にお問い合わせください。